神田明神(神田神社)
写真出典:街画ガイド
神田明神(神田神社)といえば
平将門。東京十社。神田祭。成田山新勝寺との遺恨。銭形平次の碑。
ご由緒
社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、 大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、 神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。 承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、 将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、 これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。 平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。
■平将門
ご祭神の平将門命は、朝敵だったため未だ三之宮扱いですが、平将門命が実質主祭神ともいえます。
平将門命は「関東の祟り神」として有名ですが、江戸の守り神、関東を平定した勝負の神として人気が高く、
崇敬者には強力なご加護をもたらす神様です。
■東京十社
東京十社の一つ。詳しくは芝大神宮 東京十社に記載。
■神田祭
江戸三大祭りの一つであり、日本三大祭りの一つ。
関東三大祭りは日枝神社(東京都港区)の山王祭と富岡八幡宮(東京都江東区)の深川祭り。
日本三大祭りは京都の八坂神社の祇園祭、大阪の天満宮の天神祭。
■成田山新勝寺との遺恨
平将門の乱平定に関わる由緒から、将門を祀る築土神社や神田明神の氏子を始めとして将門所縁の人々の中には
現在に至っても成田山参拝を良しとしない風潮が残るとされる。
■銭形平次の碑
「銭形平次の居住地が、神田明神下の設定」であったことから、本殿右手横に碑が建立されています。
平時の隣には子分の八五郎の碑も建立されています。
摂末社
| 神社名 | 祭神ほか |
|---|---|
| 祖霊社 | 祭神 : 神田明神の氏子・崇敬者の先祖 平成16年(2004年)創建。 |
| 籠祖神社 | 祭神 : 猿田彦大神・塩土翁神・天孫瓊瓊杵尊 猿田彦大神は天孫降臨の際に天孫瓊瓊杵尊を先導したことから導きの神として、塩土翁神は、 日本神話に竹籠の舟を作って山幸彦に与えたという記述があることから「籠職人の始祖」として祀られている。 |
| 金刀比羅神社 | 祭神 : 大物主神・金山彦命・天御中主命 天明3年(1783年)、豊嶋郡薬研堀(現在の東日本橋2丁目)に創建され、隅田川の船人から守護神として信仰された。 |
| 日本橋魚河岸水神社 | 祭神 : 弥都波能売命 日本橋魚河岸の守護神として創建され、元和年間(17世紀初め)に神田明神境内に遷座した。 |
| 三天王 | |
| 江戸神社 | 祭神 : 建速須佐之男命 大宝2年(702年)に豊島郡江戸に創建された「江戸最古の地主神」 |
| 大伝馬町八雲神社 | 祭神 : 建速須佐之男命 祭礼の際に大伝馬町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。 |
| 小舟町八雲神社 | 祭神 : 建速須佐之男命 元は江戸城内にあった。祭礼の際に小舟町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。 |
| 三稲荷 | |
| 末廣稲荷神社 | 祭神 : 宇迦之御魂神 「出世稲荷」として信仰される。 |
| 三宿稲荷神社 | 祭神 : 宇迦之御魂神 江戸時代より神田三河町の氏神として奉斎され、後に神田明神神主の邸内に祀られていた稲荷社と合祀され、 神田明神の末社となった。 |
| 浦安稲荷神社 | 祭神 : 宇迦之御魂神 元は豊嶋郡千代田村にあったが、天保14年(1843年)の江戸城拡張に伴い神田明神内に遷座した。 |
授与品
■主な授与品
写真出典:神田明神 お守り
| ご朱印帳 | ![]() |
春らしいピンクとブルー。神田祭限定「みこしー」版の3種。 | |
|---|---|---|---|
| ご朱印帳 | ![]() |
水色と桃色が加わりました。 | |
| おねがい兎守 | 所願成就 | ![]() |
因幡の白兎神話で大国様は、うさぎの願いを聞きとどけてくれました、こうした故事にあやかり、 大国様と御縁が深い兎を祈念する形にしました、短冊に願い事を書いて下さい。 |
| 勝守 (かちまもり) | 勝負運 | ![]() |
徳川家康公が関が原の合戦に当社の勝守を授かり勝利を得たことにより、縁起の守りとされ、 取引、勝負、入試等に御神徳を頂く霊験あらたかなお守り。 |
| IT情報安全守護 | ![]() |
秋葉原が近いこともあり情報産業向けに情報の漏えいやウィルスから守ってもらえるように授与されるお守りです。 | |











